阪神大震災。
俺は当時高校生で、
京都府の北部に住んでいたのだが、
それでも家が倒れるかと思うほど揺れていた(古い家だし)。
社会人になって、1年間神戸市に住む機会があった。
しかも非常に被害の大きかった地域。
その時点で震災から7年が経過していた。
街には築5年程度までの新築住宅が整然と並び、
点在する空き地を気にしなければ、とてもあの被害地だとは思えない様子ではあった。
その年に入社して寮にいた会社の先輩は、
瓦礫の中から亡くなった方を収容したりしたらしい。
五体満足な状態ではない場合も多く、
「人生観が変わった」
と仰っていた。
震災孤児の施設が寮の近所にあり、
行事関係でその施設を訪問する機会があった。
施設の人の、
「精神が成熟している大人は、
震災のショックを一度(自分の中で)乗り越えてしまえば何とかやっていける人が多いが、
子供は、その成長のステップの段階々々で震災を振り返り、心の整理をしていかなければならない。非常に長い時間をかけて消化していかなければならないんですよ」
という話が非常に印象的だった。
あれから3年。
震災から10年。
俺は当時高校生で、
京都府の北部に住んでいたのだが、
それでも家が倒れるかと思うほど揺れていた(古い家だし)。
社会人になって、1年間神戸市に住む機会があった。
しかも非常に被害の大きかった地域。
その時点で震災から7年が経過していた。
街には築5年程度までの新築住宅が整然と並び、
点在する空き地を気にしなければ、とてもあの被害地だとは思えない様子ではあった。
その年に入社して寮にいた会社の先輩は、
瓦礫の中から亡くなった方を収容したりしたらしい。
五体満足な状態ではない場合も多く、
「人生観が変わった」
と仰っていた。
震災孤児の施設が寮の近所にあり、
行事関係でその施設を訪問する機会があった。
施設の人の、
「精神が成熟している大人は、
震災のショックを一度(自分の中で)乗り越えてしまえば何とかやっていける人が多いが、
子供は、その成長のステップの段階々々で震災を振り返り、心の整理をしていかなければならない。非常に長い時間をかけて消化していかなければならないんですよ」
という話が非常に印象的だった。
あれから3年。
震災から10年。
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