ねむひ

2002年5月13日
まったく・・・余裕がない。
仕事に追われてる。

純粋にサラリーマンとしての仕事だけじゃなくて、寮の自治会とかの仕事とか。
休みが休みになってないっちゅうに。

土曜日は三時間睡眠ながらも肉体労働バンザイ、という感じの仕事。
雨降りの翌日はしんどいっす。

で、寮に帰ってからミーティング。
深夜2時まで。おいおいおい。

今朝は10時まで爆睡してもうた。
・・・前は疲れててもそんなことなかったのに。
ふう。

で、再びミーティング。14時まで。
はう。

でも一人の時間が俺には必要で、三宮へ出かける。
ふらふらと本屋へ。
この前彼女さんの家のテレビで観た日木流奈君の本が並んでたので立ち読み。
すげえ。
負ける。
頑張らねば。弱音なんて吐いとられんわ。

寮に帰ってまたもミーティング。24時まで。
うげ(早速かよ)。

今日は彼女さんに電話する日だったのに。
電話したらやっぱり寝てた。
お互いに忙しくなってて、6月の休みも予定合わない状態・・・。
まずいなー。

ちなみに19日に先日の3つ上の先輩とデート(?)することになった。
向こうから電話あり。
「どうしてるかなーって思って」と。
で、アメフト観戦。
しかも二人。
って、やばくないか?

結婚式

2002年5月6日
結婚式良かったー。
まったく羨ましい。
兄姉の時も思ったけど、やっぱ結婚式って良い。
ちょっと感動的。

クラブ同期の女の子と3つ上の先輩との結婚。
・・・なので二次会は関係者ばっかし。
挨拶とか回らなあかんし。体育会系はそのあたり気を使うのでまいる。

しかし直前に色々聞いてただけに幸せそうな二人を見て安心。ほんと良かった良かった。


ちなみにちょっと嬉しいことに二次会で電話番号きかれてしまった。

一人は同期の女の子の友達。
聞かれてすぐに電話番号教えてしまったがイマイチ話が合わない。
・・・で「俺はそんなに仲良くしたくないんだよ」ムードをバリバリ放出するも伝わらず。
「おしゃれcafeにでもいきませう」とか早速メールが届いて辟易。「伝わってない」という事実に疲れてしまう。

さらに。
お開きになってロビーで捕まってしまったまでは良しとしても、
なんで俺があんたの飲んだジュースの缶を捨てなあかんねん。
当然のような顔して渡すなっちゅうに
(怒)。
俺はそういう「人に何かしてもらうの当たり前」面する奴は男だろうが絶世の美女だろうが嫌いなの。

まあともかく。
もう一人は新郎の同期の人で別の大学の三つ上の人。
なんでも結構前から俺のファンでいらしてくれてたらしい。
OGになってからもちょこちょこ来てくれてたらしい。知らんかった(・・・けどよくよく記憶を辿ってみるとそんな人が確か先輩達のグループにいたことがあったような気がしないでもないこともない。で、紹介もされてたような気がしないでもない。おぼろげだしかなり不確かな記憶だけど。まあそんだけ気がなかったということだろう)。
ま、お世辞でも嬉しいじゃないの。

結構綺麗で落ち着いた感じ(3つも上だから当たり前か)の人。良い。
今度ほんとにデートするかも。

もちろん今は俺は彼女さんが好きだし、彼女以上の人が出てくるとはなかなか思えんけど、年上の人に対する好奇心みたいなもん。
なのでちょっと勘弁してくれ。
すまん(謝るのは後ろめたいからだろうか・・・)。

連休

2002年5月5日
ほんとにタイトル通りのペースになってきたな・・・。
ともかく、明日はクラブの同期の結婚式。
なので出し物(謎)の打ち合わせで久しぶりに京都人。
で、彼女さんと半同棲の奴の下宿にお邪魔中なのだ・・・物置きみたいでなんもない。
AirH"でモバイラーっちっくだ。

結婚。
まだまだイメージが湧かない。
誰とどうとかじゃなくて、結婚自体が俺の中でぼんやりとした状態だからだろう。
うーん。ま、仕方ないんだけど。

それにしても。
俺にとっての彼女さんの存在、みたいなのをもう一度考え直さんといかんような気がする。
悪いのは俺。
あの人から何かを得よう、という感覚が薄れてたような気がする。
慣れてダレてたかも。

・・・別に雰囲気悪いことなんて全然無いし、
今のとこ順調だとは思う。
けどなんとなく反省。
もうすぐ半年。早いなー。


しかし忙しい。
銀行にお金おろしに行く暇も無い。
昨日お金おろしに行ったら銀行ほとんど休みだし。
お金無いGWなんてどう過ごすねん。

さらに今日は久しぶりに京都に来たということで後輩と飲んで散財。
財布の残り2000円ナリ。
結構やばい。

サラリーマン生活

2002年4月21日
ううう。
ほんとに久しぶりだ。

ネット環境が整わんのでついにairH"端末購入。
いえい。

しかし忙しすぎるので日記なんて書いてられんというのが本音。
6時前の電車に乗って、帰ってくるのは12時半過ぎ。
おいおいおいおい。

毎日仕事しかやってないから書くことがない。
・・・寂しい。
けど仕方ない。
会社のことは書くわけにいかんと思うし。

今日は休みだというのに天気悪いし。
まったく。

とりあえず、一週間分の洗濯を終わらせて三宮へ。
・・・綺麗めの人が多いので好き。

初任給で実家へ贈り物を。
我ながら偉い。
すきやき用但馬牛1キロ。1万五千円ナリ。
俺も食べたいよう。
で、手紙も添える。
・・・泣くな。絶対泣く。俺が親なら泣く、という内容。クサすぎ。でも良い。

GWは27〜29と3〜6が休み。まあ暦通り。
けど8連休とか9連休とか聞くとちょっとジェラシー。
そんで前半は彼女さんに会いに関東へ。
1ヶ月ぶりだー。楽しみ。

後半は今のとこ予定無し。結構ヒマかも。
一応クラブ同期の結婚式があるけどそんだけ。
ゆっくり休も。

しかし金無いっちゅうに。初任給からお祝に3万円もよう出さんって。
1万プラス五千×2の計2万円で勘弁していただく予定。
申し訳ないが締めるとこは締める。
ケチでごめんね。

復活!? 暫定的

2002年3月31日
久しぶりの日記。
引っ越しを超バタバタの中で終了(引っ越し前日に3時まで飲んで、二日酔いながらも8時にレンタカー借りに行って、限り無く酒気帯びに近い状態で京都ー実家を荷下ろし含めて8時間で往復して、旅行鞄に入れるつもりだった荷物が入りきらなくて泣く泣くゴミ袋に入れたりして、自転車をバイト先のおばちゃんに差し上げて、京都駅に行った)。

で、彼女さんの家で学生らしい最後の休みを過ごす(またも箱根に行ってた。しかも今回はレンタカーで芦ノ湖へ。そんで初めて彼女とちょっとモメたり・・・結局は自分のマイペースさ加減と、それに不快感を持つ人がいるかもしれない、ということを分かってくれた。良かった)。

で、今は神戸人。
良い街だ。雰囲気がすごしやすくて好き。

寮は今のとこネット環境が整ってないのでメールのチェックも出来なかった。
で、とりあえず携帯で繋げられるケーブル購入。
来週にはみんなでケーブルテレビの契約を結んでブロードバンド復活、の予定なんだけど。
でも使える部屋は決まってるし、自分の部屋でメールチェックができたら便利だし、ムダにはならんやろ、ということで購入。

・・・しかし遅すぎ。泣ける。
明日は入社式。早く寝よ。

いろいろ

2002年3月22日
「朝ご飯で冷蔵庫を空にする」作戦を決行。
・・・カイワレがちょっと残った。まあなんとか食べよう。

で、京大病院に行く。
去年の5月くらいからデキモノがちょこちょことあって、
別の病院で「原因不明。治るまで結構な時間がかかる」と言われてたのだが、
いいかげん長すぎる気もしてたのでちゃんと診てもらいたかったのだ。

あれはクラブ時代にちょっとお世話になったKさんのお宅に遊びに行った日の夕方からだ。
まさしく原因不明。
顎、脇腹、お尻に一気に吹き出物みたいなのが出てきて、
数日間かなりホラーだった。

まあしばらくしてほとんど直ってたんだけど、
海外に行って腕、足、脇腹に再発。
で、まだちょっと残ってる状態。

みてもらうとあっさり解決。病名も。ナントカ皮膚炎(忘れた)だった。
「これ塗っておけば直ります」と処方せんを頂いて終了。
俺の一年間はいったい・・・?

まあでも生来のアレルギー体質かも、とも言われた。納得。昔平気だった猫も最近はダメだし。犬は大丈夫(たぶん)。
他はいたって健康なんだけどねえ。


そんでメガネも作る。
右1.5、左0.4というふざけた視力のため、
細かい文字とか集中して見てると右目への負担が大きくて頭痛が起きるのだ。
仕事が始まる前に一応対策を立てとかないと、というわけで7年ぶりくらいにメガネを作る。
KENZOのフレーム(鼻あてがないデザイン。良い。もうひとまわり線が太けりゃさらに良かったんだけど)に決定。
レンズ含めて3万円ナリ。痛。


そして引っ越しで電話回線も停止(寮の電話は公衆電話しかないらしい。どうなる俺のネット環境・・・)するのでADSLも解約。NTTにレンタルのスプリッタ、ルーターを返却。
さらばブロードバンド。時代に完全逆行。
・・・ダイヤルアップに戻ってきました。
あのピーガラガラガラガラ・・・復活。

とりあえず、一人で外食するのもなんなのでクラブの同期のNにメール。
Mも京都に来てるから3人で食べんか、とのこと。
ということでこれからご飯。
量が多いくせにおいしい和食屋さんへ(ただし「おまかせ」しか頼めないことが多い)。


はあ。いよいよ京都を離れるんだなー(明後日だけど)。
ここは適度に田舎で、ありがたい街だった。
いろんなとこに行けたし、いろんなことを経験させてもらった。
満足。

家の中

2002年3月21日
今日は一日外出せず。
NHKでイタリア美術の特集をやってたので。

彼女さんがメールで教えてくれた。
5時間半って何かの間違いだと思ったけど本気だった。
恐るべしNHK(ぶっ通しではないけど)。
まあでもさすが。BGM良い。

そんでヴェネツィアを中尾彬(こんな字だっけ)が歩き回ってた。
自分の見てきた風景が映されて不思議な気分。
でもちょっと懐かしい。

ミラノ、フィレンツェが映ったときは「冷静と情熱のあいだ」の順生とあおいを想像する。
あの後どうなったんだろ・・・。


まあ空想はともかく、寮に送る荷物を段ボールに詰める。

・・・異常に重いよ。本。
シャレにならん、と思ったので分散させる。
引っ越し屋さんは良いとしても、
寮に着いてから運ぶのは俺なんだし。

それにしても着実にモノが消えていく。
ベッドも、本棚の中も、収納の中も。
いよいよだな、という感じ。

ちなみに最近自炊が完全復活。
(今後1年間料理する事はほとんどないと思われるが)
ハンバーグって簡単だったのね(彼女さんに教わった、というか見よう見まねだけど)。

旅行の日記も勢いで書き上げてしまおう。
決意。

今日の日記

2002年3月20日
引っ越しの準備進める。
電気、ガス、電話、郵便、大型ゴミ・・・
水道忘れてた。明日やらなきゃ。

さらに今日はaikoのDVD発売日。
ということで買いに行ってくる。
今日発売なんだから「NEW RELEASE」であっさり見つかるはず・・・が、見つからない。
店の奥の方の棚で発見(なんで?)。
つーか、あの扱いはひどいって。

落ち目なのか?(俺は気にせんけど)

家に帰って早速視聴。良い。良いよ。

温泉

2002年3月19日
クラブの同期で行った温泉の話を書いて、
いざ更新、という時にブラウザ強制終了・・・
ということで昨日書いたのを再び。
でもめんどくさいのではしょる。

15日の夜に京都発。
翌朝彼女さん宅へ。一か月以上ぶりの再会。

でもヘンなのだ。
メールとか電話での存在が当たり前になってしまってて、目の前の存在として認めるまでに時間がかかる。お互いに。

なので出会ってすぐに「会いたかったよ」なんてキスしたりできない。

しかも彼女は体調悪いらしくて、朝ご飯後すぐにベッドイン。俺は彼女が「読みなさい」という「冷静と情熱のあいだ」の青の方を静かに読む。

同期の奴らとの集合時間が気になりはじめた頃、彼女が目を覚ます。
イマイチ、らしい。
でも体調悪い事は同期の奴らには言わないで、とのこと。
・・・けなげ。

とりあえず小田原へ。みんなと合流。
結構会うの久しぶり。7人中6人揃ったのも久しぶりかも。

箱根へ。
同期の奴らが気を使ってるのが分かる。
まあしゃあない。

到着後、駅前で温泉まんじゅう食べながら「体だいじょうぶ?」という俺の質問に「おいしーい」と彼女・・・爆笑。
体調も良くなったらしい。良かった良かった。

夜にみんなで飲む。
この頃には彼女さんもみんなと打ち解けてて安心。
いろいろ話す。というか何話したかあんまり覚えてない(酒のせいではない)。
同期の奴らと話すといっつもそうだ。とりとめない。


翌朝、みんなで彫刻の森美術館へ。
集合時間だけ決めてバラバラに。

良いっす。かなり。子供を連れていっても良さそうだ。

特に塔(?)みたいなの。素晴らしい。

小田原に帰ってご飯を食べて解散。
なんか忙しかった感じ。
やっぱり温泉に一泊は辛いかな。


解散後、彼女さん宅へ。
ハンバーグを作ってもらいながら俺は読書の続き。すんなり頭の中に入ってくる文章。読み終わる。
順生・・・波瀾万丈すぎ。でも頑張れ。
赤の方も読みたくなる。

ご飯おいしい。嬉しい。
「おいしい」連発(安売りしすぎかな)。
彼女も喜んでくれるので俺も嬉しい。


・・・そんで翌日3時すぎ(午後!)に動き始める。
シャワー浴びてご飯食べたら4時半だった・・・。

のんびりしよう、ということで部屋で読書。
俺は「冷静と情熱のあいだ」の赤の方、彼女は青の方。
でもすぐに居眠りしはじめる彼女。
・・・優しい気持ちになって肩貸してあげる・・・ついつい幸せ感じてしまう。

結局俺は読み終わり、彼女は読みかけから読み始めたのに読み終わらなかった。
んー。この後二人はどうなるんだろう。
続きが読みたい。けど想像するのが面白いのかも。

のんびりだらだら。ゆっくりいろいろ話す。

1週間後にまた行ってきます。


で19日の朝、帰京。
会社から送られてきた入寮日提出の書類作成&区役所に転出届け&大学の研究室の鍵返却。・・・はう。忙しいよう。

バタバタしてるなー

2002年3月15日
一昨日にバイト先のおばちゃん宅にお土産&写真を届ける。
デジカメ写真120枚弱(それでも減らしたつもり)。
3枚ずつ印刷してもらったら12000円もかかってもうた。うげ。

とりあえず、おばちゃん二人に1セット差し上げる。
それと180枚強の全写真をHP形式にして見られるようにした自作CD(俺ってなんてマメなんだろ)も差し上げる。
あと関空で買った(内緒)フランスのチョコも。

・・・おしゃべり止まらず。
ケーキ2個も食べてしまった。
んで寮に持ってけない自転車も買い取ってもらう事になった。
さらに旦那さんが帰ってこられて、おじいちゃんも娘さんも一緒にご飯食べに行く。
久しぶりににぎやかなご飯。
ごちそうさまでした。

で、昨日。
実家に運転練習兼引っ越し。
・・・実は免許とって初めての運転。
で目指すは京都府北部の田舎町。
おそろしく緊張してしまった。
特にレンタカー借りて間もない市内の運転。
まじで緊張した。かなり汗かいた。

まあでもなんとかなるもんで、縦貫道を走って(・・・ひょっとすると俺はスピード狂かもしれん)3時間半で見事到着。

疲れを癒す間もなく甥っ子と遊ぶ。
1歳と4か月。かわいすぎ。あれは犯罪的。

一泊して再び京都へ。
行きよりはるかにリラックスして運転できた。
時間ギリギリに返して帰宅。

はー。今からバイト先にお土産を持って行って(これも関空で買った)、
夜は関東へ向かう。
クラブ同期(&彼女さん)で箱根温泉へGO!
・・・忙しい。

しんどいかも

2002年3月11日
帰国してから急に風邪ひいたみたいで体がだるい。
とりあえず午前中に洗濯と14日の引っ越しのレンタカーの予約を済まして午後に大学へ。
なんか人多いなー、と思ったら入学手続きの日だった。
彼女さんと初めて会ったのがちょうど3年前になるわけだ!っと妙に感動。

それにしてもどこのクラブも勧誘に必死だ。
かくいう俺も一昨年まで頑張ってたわけだけど。

余談だがやっぱりアブないサークルは存在する。
だいたい4人くらいのグループで動く。
髪は結構のびてて中分けが多い。
靴はスニーカー。
「サークルの説明会をあっちでやってる」を絶対言う。活動は「いろいろとやってる」。
んでなんといっても目が明らかにヤバい。
特徴的な目・・・なのだが分からん人には分からんようで、一人ついて行ってる新入生を発見。
健闘を祈る。

とりあえず卒業証明書と成績証明書の取得についての掲示を見る。
卒業式は出席するつもりないけど、証明書は取りに来ないといけない。
・・・つーか24日で下宿を引き払うというのに、卒業式は26日、会社の寮に入るのは28日というふざけたスケジュール。
泣ける。

あと学割を6枚も取得(使わんと思うけど一応ね)。

それから地下鉄の駅までチャリで行って、京都駅へバスのチケットをとりに行く。
横浜往復が理想だったのに、行きはもう一杯だった。
仕方なく東京行きへ変更。

せっかく京都駅近くまで行ったのでソフマップへ。
230MBのMOはどうも中途半端で、
しかも誰かにデータを渡すのにかなり不便なので引っ越し前にオークションにかける予定。
ということでCDーRドライブ購入。散財。

で、帰る。
駅の改札を抜けてチャリを置いた場所へ
・・・チャリがない!
真っ昼間の交差点なので盗難はないとして撤去か!?と焦る。
・・・がどうもおかしい。
周りの景色を落ち着いて見回すとなんと一つ手前の駅だった。おいおい。

実は帰国してからちょっとボケぎみなのだ(風邪のせいかも)。
チャリに乗ってもあの「他人の自転車に乗った違和感」を感じてしまうし。

・・・自分のアホさ加減に一瞬へこむが
天気も良いのでせっかくだし歩く。
気持ち良かったー。

で、本当に帰宅してCDーRの動作チェック。
うむうむ。
さらに撮ってきたデジカメ写真の整理をして
プリントしてもらいに行く。
バイト先のおばちゃんたちにあげる約束してたのだ。
明日にはできるとの事。
よしよし。

それにしても旅行で自炊癖がすっかり抜けてしまった。
食費がこのままだと大変。
明日からなんとかしないと・・・。

帰国!

2002年3月10日
はー、疲れた・・・けど色々あった旅だった。
満足(それなりに)。

24日から日を追って書いて行く予定。

パリ 4日目

2002年3月7日
パリ最終日。
この街は俺なりに楽しめたかな、と思う。
というか日本にいるのと同じ状態に近くなってきてた、と思う。
言葉の問題とか、犯罪への警戒とかはともかく、自分のペースで過ごせてた、と思う。
慣れてきたのだ。

朝からPoissyなる街へ遠出。
コルビジェのサヴォワ邸へ見学に行くのだ。
現代建築のバイブル的(?)存在。
でも写真とかで見る限り、何がそんなに良いのよ?と思ってた。

駅に着いて地図をもらうもさっぱり分からん。
駅前の地図と照らし合わせても???
仕方ないので家族連れに質問する(ミラノ以来、久しぶりに人に道を聞いた)。
フランス語は1回生のときに選択してたが前期で見切りをつけた俺。
当然ちんぷんかんぷん。
相手もどう伝えたら良いか困ってたみたい。
結局バスまで連れて行ってもらって、さらに運転手に「この人をここで降ろしてやってくれ」と伝えてくれた(分からんけどたぶんそんな感じ)。本当にいい人だった。メルスィ。

バスに乗りながら駅でもらった地図と走ってるところを照らし合わせていく。
・・・地図が適当すぎるのだ。帰りは歩いて帰る決意。

そうして対面した実物は想像を遥かに超えてた。
エントランスからの庭の眺めとか、テラスからの庭の眺めとか、最高に美しい。綺麗。
天気も良いこともあって、スロープを昇りながら見上げる空とか最高に綺麗。
風景の切り取り方が上手いのだ。
確かにこれは傑作・・・と思ったけどキッチン周りとかお風呂とか、
どうなんやろ、と思う部分もちらほら。なんか使いにくそう。
・・・それにあれは庭さえあれば世界のどこに建ってても同じ空間になってしまう。
確かにユニバーサルスペースかもしれんけど、なんか面白くない。
まあ実際気持ち良い空間だったんだけど。ちょっとね。

歩いて駅に向かう途中、桜並木を発見。ピンクの花が満開。最高に綺麗。
ネットカフェも発見(パリってあんまりないような気が)。しかも安かった。
駅へ。人種差別的かもしれんけど、黒人がたむろってると普通に恐怖だ。
だってねえ、この駅でキセル(改札から人が出てきたスキに開いた扉から入れ代わりに入って行く)を3回も見てしまったのだ。
しかも一回目は俺が出てきた時で・・・一瞬何かと思った。
良い感じはしない。
さらにネットカフェに入ってすぐに入り口を何となく振り返った時も、
その前にすれ違った人がこっちを見ながら通り過ぎて行った。
駅前は恐いっす。あの家族連れみたいに良い人もいたんだけど。
はあ。

パリ市内へ戻る。
乗り換えを間違えたお陰でオスカーニーマイヤーの展示会を偶然発見。入館。
・・・建築に縁のある日だったのかも。
しかしちょっと政治色が濃い感じがしてイマイチ。
デザイン的にも好きじゃないかな。

またもチュイルリー公園を歩いて(ほんとのんびりできて良い公園なのだ)ルーブルへ。
ニケ様に逢うためだけに(あほかも)。
極めて美しい。あの空間。最高。

ちょっと他も観ていくが・・・中国人か韓国人か分からんかったけど、唖然。
彫刻に触りまくり。んで何か知らんけど大爆笑してる。
つーか笑われるべきはお前らだっつうの。
周りの人はみんなひいてた。

最後にまたもニケ様のところに行って出る。

歩いてポンピドゥーへ。
人が多い。そしてなんか警察が異様に多い。
イコール治安が良くない、となるわけで、身構えてしまう。
夕方だしちょっと恐くなってきたので通りすぎるだけ。また今度ね。

セーヌ川沿いを歩く。夕焼けがほんとに綺麗。
夕空をバックにエッフェル塔(そういや行ってなかった)のシルエット、オレンジに染まるセーヌ川。
もう・・・言葉は必要なし。良い。

パリ 3日目

2002年3月6日
朝起きて近くのカフェで朝ご飯。
クロワッサンとコーヒーで2ユーロ。安い。

で、開館時間ちょっと前にルーブル到着。
カルトミュゼなるフリーパスがあるので団体入り口から入る。

パンフレット見ても広すぎてどこから行くべきか迷ってしまう。
まあフラフラ行けばいっか、ということでドノン翼へ。
・・・広すぎ。

で、サモトラケのニケに遭遇。
・・・感動。あれはすごい。引き込まれる。
・・・惚れました。まじで。
展示ホールを歩いてると奥の階段の踊り場にだんだんその姿を現わす・・・見せ方も最高。
凛とした空気をまとってて、ただただひたすら美しい。
みとれてしまった。
・・・どうしても写真が撮りたくなって、何枚も撮ってしまう。

旅を通して、寺院や美術館の中で写真を撮ったのはこの場所だけ。
写真を撮って、それで満足してしまうのが俺は嫌。
そこの空気、そこで感じられるものを捕らえるのに集中したいのだ。
でも、あの像だけはどうしても撮りたくなって・・・。
俺の中ではもうニケ「様」。

ヴィーナス、モナリザ、その他もろもろ(多すぎ)・・・すげえええええ。有名どころいっぱい。
さすがルーブル。

でもニケ像ほど「くる」ものは他には無かった。
・・・まあそれで良し。
名作って言われてても自分が良いと思えなければそれまで。
観る目がないのかもしれんけど。

しかしやっぱり絵画より彫刻に魅力を感じてしまう。
3Dの物体の持つ強さや存在感・・・良いね。

そういうところでやっぱり建築的なのかもしれん。
形ある「モノ」を創る仕事じゃないと嫌なのだ。

昼すぎ、チュイルリー公園でひと休み。
池の周りのベンチに座ってパンを買い食い。
・・・ほとんどのカモがつがいで行動してることに気付いて彼女さんのことを想う俺・・・ヘン?ヘンかも。
でも微笑ましい&うらやましい。

再び入館してリシュリュー翼へ。
歩きまくってるのでちょっと疲労感。
で、中の彫刻の庭(?)みたいなとこで休んでると日本人の女の子二人。
カメラを渡して「入ってる(怒)?」
カメラを受け取って「・・・」
「入ってるって聞いてるの(怒)」
「・・・はーい(パチリ)」
その後、片方の子がかなりイラつきながら何か話す。
もう一人は遅れて階段登るときに声を出さずにポツリと「すいません」(口の動きで分かってしまった)。
で、その子と目が合った。

なーんかね。
姉妹ではなさそうな感じだったから、友達同士で旅行だったんだろうな、と思う。
いろんなところでペースが合わなかったりして、あんな状態になったんだろうな、と思う。
あんな状態で何を見たって心に残らないだろうな、と思う。
・・・ヨーロッパまで行っといて・・・正直かわいそうだった。

と言いつつも、俺も疲れてて不感症ぎみになりつつあったので結局半分くらいしか見てない。
でも最後にニケ様をもう一度眺めて帰る。
まあ他の作品はまたいつか、ね。

パリ 2日目

2002年3月5日
オルセー美術館へ向かう。
・・・歩いて行けそう。

セーヌ川沿いを歩く。
気持ち良い。
あんまりきれいな川ではないけど。

アラブ世界研究所に寄り道。
かなりアリです。かっこいい。美しいです。
旅を通して現代建築に惹かれたのはあんまりなかったけど、あれは良い。かなり。

さらに歩くとノートルダムが。裏側から歩いていく。
すごい存在感。
内部へ。
・・・幻滅。
どいつもこいつもフラッシュたきすぎ。
あんな暗い空間でフラッシュたいたって5m以上先なんてほとんど撮れてないはず。やめてくれ。

ルーブル休み、ということもあって観光客(ツアー)多すぎ。
教会ってにぎやかにするところじゃないだろ。
ウィーンのヴォティーフ教会の空気を思い出してさらに幻滅。
でも入場無料だったし何か買ってあげたいな、と思うもお土産もイマイチ。
さっさと出る。

で、座ってオルセーへの道を確認してたら、
いわゆるホームレスと目が合う。
来るな、と思ったらビンゴ。
「ナンタラカンタラ、スィルブプレ、ナンタラカンタラ」と言ってくる。
「ノ」とだけ言ってその場から逃げる。
ちょっと離れたら追ってこなかった。
再び座ってちょっと考える。
日本のことも含めて。

いろいろ考えた結果、ウィーンでは助けてもらったし、教会への寄付と思って彼女たちに少しだけ渡す。
・・・スッキリした気分にはならなかった。
あの「メルシ」と言った男の子の顔はまだ思い出せる。

ともかく、オルセーへ。
建築的にも行きたかった。
でも内部空間はイマイチかも。気持ち良いのは気持ち良いんだけど、なんか極めて良い、とは思わず。

展示品では、ロダンがまず良い。首だけ彫った作品がかなり気に入った。「出して」っていう感じで。

さらにありきたりだけどモネ。
光の表現が絶望的に上手い。有名な絵では無かったみたいだけど、並木通りを描いた絵。風が吹き抜けそうな、引き込まれそうな絵があった。

あと家具。デザイン贅沢すぎ。机の良いのがあった。ピンクの花瓶もきれいだったなー。


帰りも散策がてら歩く。
というか歩くと街の大きさが体感的に把握できるし、方向感覚もつく。
難しく言うと街を理解するための行為、なのだ。
・・・おかげで地下鉄の回数券は余ってしまったけど。

で、サンジェルマン通りでネットカフェ発見。
それにしても両替えの手数料高すぎ。
50ユーロのトラベラーズチェックで手元に帰ってくるのが42ユーロってどうよ?
なめとんのか、ゆう感じ。
駅でも44ユーロしか帰ってこないし。
パリは何から何まで高い。

バスティーユ広場(火縄くすぶる、って覚えたな)・・・普通だ。記念碑が建ってるだけっぽい。

で、翌日こそルーブルへ!
早く寝る。

パリ 1日目

2002年3月4日
ウィーンからパリへ行く途中でドイツを通る。
・・・寒すぎ。
夜中何回も目を覚ます。

そして同じコンパートメントに子供がいたためあまり眠れず。

とにかくパリに到着!
さっさとリヨン駅へ向かう(後日ミラノへ向かうためだったけど、よく考えたらはじめの2泊くらいは別の宿で良かったかも)。

で、宿探し。・・・高い。高いっす。
3つ星クラスで60ユーロを切る事はまずない。
仕方ないのでシャワー付き、トイレは共同の1つ星に決定。それでも48ユーロ。
・・・なんか床傾いてるんですけど。
鉛筆置いたら転がりそう。ええけどね。

地下鉄でデファンスへ。
グランアルシュ。でかすぎ。まじで。
シースルーエレベーターで上の美術館へも行く。

うお!コルビジェの椅子がいっぱい!(庶民すぎか?)
しかも革とかボロボロになるまで使い込まれてるし。恐るべしパリ・・・だって一脚30万円くらいの椅子よ?びびるって。

景色も最高。都市の軸、みたいなのをかなり意識させる街だ。

ちょっと近くを散歩。桜を発見!ほんとに。
日本よりちょっと寒いくらいだったのに。
なんだか嬉しくなる・・・日本人だね。

凱旋門へ。無名兵士の墓とか、考える事がカッチョええ。負けた。
上からの景色も最高。風が気持ち良い。
・・・しかしあのロータリーでよく事故が起きんよな。感心。

シャンゼリゼを歩く。天気も良くて歩いてて楽しい。
しかし日本人多すぎ。

コンコルド広場を抜けてチュイルリー公園へ。
贅沢。ほんとに。
芝も綺麗。そのなかに彫刻が置いてあったりするし。
彼女さんと歩きたい公園。

ルーブルへ。入り口だけ見る。
やるね、I.M.ペイ。美しいです。


しかし分からなくなる。
パリに限らず、ヨーロッパは美しいものがいっぱいだ。それは確実。
でも・・・なんなんだろ。歩道に落ちまくってる犬のフン、ゴミ、あちこちの落書き・・・どっちが彼らの本当なのか分からなくなる。
そんな街の中を歩いた靴で家の中でも過ごしたり・・・一体どこで区切りが付いてるのか分からない。
あっちでは風呂がかなり適当らしいが、そういう部分が関係してるのだろうか。体からの排泄物、みたいなものに対する意識みたいなものが・・・。うーん。
帰国してもまだ理解できてない。
あっちの友達ができないと解決しないな。


とりあえず、翌日はルーブルへ行くので早めに宿に帰った。
の前にご飯。ちゃんと普通に食べた(旅を通じてはじめて)。
ちゃんと野菜を食べたのもこの日が初めて。
すげえ。
ビール飲んだのもこの日が初めて。
すげえ。

ようやく一歩突き抜けた感じだった。

宿に帰って調べたら火曜はルーブル休館だった。あう。

ウィーン 4日目

2002年3月3日
朝目を覚まして身支度。
宿を出なければならない。

先払いなのでさっさと出て行く(そもそもフロントも無いし)。

一応前日の夜にウツ克服を試みたが、
そんなに簡単ではない。
・・・今日もダメなのかな・・・とコインロッカーに荷物を入れるため駅へ向かう。

信号待ち。

快晴。この旅一番の青い空。

で、それを見た瞬間に何か変わったのだ。
うまいこと説明できんけど。
なんか「すべてオッケー」と思ってしまった。

コインロッカーに荷物を入れて、身軽になって、さらに気分ウキウキ。
構内のパン屋でかなり甘そうなパンを二つ食べて(実際甘かった)お腹も回復。

中心部まで地下鉄で行って、
大通りぞいの国会議事堂、市役所の前をのんびり歩く。
・・・もうなんだか楽しくて仕方なかった。
理由も無く。

そして路面バスにでも乗って逆方向へ戻ろうかな、と思ったときに発見。
ヴォティーフ教会(観光スポットとしてメジャーではない)。

青空をバックに前には広い芝生の公園。
ひたすら綺麗。

ゆっくり中に入るとミサの最中だった。
俺はすっかり曜日感覚なかったけど、
日曜だったのだ。

祈りの空間。
ステンドグラスを通して内部を柔らかく照らす朝の陽。
教会の内部に響くパイプオルガンの音色。

・・・何も感じない方がおかしい。
正直、あやうく泣きそうになってしまった。
嬉しくて。
力をもらった。

感謝の気持ちでいっぱいになりつつ教会を去る。

この日はどこに行っても楽しかった。
自然史博物館、王宮、シュテファン寺院・・・

夕方にネットカフェで復活したことを彼女さんにも報告。

でもお土産探そうとしたらことごとくお店が休みだった。
日曜は休みなのね・・・。

いざパリへ!

ウィーン 3日目

2002年3月2日
朝起きる(相変わらず超早朝)と、なんとなく体しんどい。
ダメ・・・と思いつつも時間がもったいないので、
オットーヴァーグナーの郵便貯金局を見に行く。
・・・土、日、祝日は休みだった。裏目。

近くの応用美術博物館も開館前。
なので美術館地区(MQ)、という最近出来たスポットへ。

うろうろしてたら建築関係の展示を発見。
面白そう、ということでチケット購入。
5.5ユーロ。
小さいお金が無かったので50.5ユーロ渡す。
お釣40ユーロ・・・ん?
ちょっと待たんかい!
受付のねーちゃんに抗議。
でも俺はお札を手にしてねーちゃんはすぐに下を見た。
なのでその間にすり替えたんじゃないの?と受けつけない。
ふざけんな!・・・とウツちっくの俺が言えるわけもなく泣き寝入り。
しかも展示も大したこと無いし。はああああ。

さっさと去る。

近くにある王宮へ。
気分も良くないし、腹も減っててなんとなく通り過ぎるだけ。

通り過ぎてから謎の博物館へ入ってしまった。
昼時のスペイン馬術の博物館・・・日本人は当然のように俺だけだった。

もったいない金使ったかも・・・と思いつつ、
その近くにあるはずのユダヤ民族博物館を探す。
が、見つからない。
地図も見て数本の路地を練り歩いても見つからない。へこみ。

とりあえず腹を満たそう、とは思うものの面倒くさくてマクドへ。
店員の態度最悪。あのひたすらデカイ女店員・・・今思い出しても恐い。
もう嫌。

ブルーに染まりながら食べ、ぼーっとしてると
掃除係のねーちゃんにさっさとトレイを片付けられる。
・・・出ろっていうことな。
いいよ、2度と来ねーよ。と思いつつ出る。

再びユダヤ民族博物館を探す・・・ないってーの。なんで?

諦めてシュテファン寺院の空気で自分を浄めてもらおうと思い立ち寺院の中へ。
・・・一昨日とは別世界。
観光客うじゃうじゃ。フラッシュ光りまくり。雰囲気ぶちこわしだ。
つーかねえ、教会のあの暗い中でフラッシュたいて、
20mも上にある天井画がフィルムに焼かれるわけねーだろ。意味ないから止めろ。

・・・とむかつきつつ外へ出てしまう俺。
ネットカフェへで1時間ぼーっと過ごす。

時間は3時頃だというのに宿へ帰ってしまった(洗濯する、という仕事があったにせよ早いよな)。
そしてこの日は終了。
気分最悪。

シャワーを浴びてちょっとスッキリした時に分析する。
いかん、と。
そしてその状況に陥っている理由。
1、一人でいることによる緊張
2、言葉に対する不安
3、自分を解放できる時間の少なさ

大きく分けてこの3つ。で、解決策。
1、仕方ない。(我ながら強引極まりないな・・・)
2、たぶん大丈夫、というか大丈夫だと思うこと。(これも強引)
3、焦らない。ホテルにいる時間を長く。街でもカフェとかでのんびりする。(これはまとも)

と、ひたすら強引に納得。

自信、というものに対しても下に書いた思考の結果、
「失敗を恐れずいきましょう!」という極めてありふれたポリシーを立てることで無理矢理解決。
我ながら・・・単純。

で寝た。

ウィーン 2日目

2002年3月1日
そういや前日に初めてマクドに行った。
コーヒーが信じられんくらいうまい。
メニューもいっぱいあるし。驚いた。

それはともかく、
この日からウツっぽくなってくる。
相変わらず4時くらいには目が覚めるし。

歩いてシェーンブルン宮殿へ。
・・・外観は大したこと無いかも。
でも中はすごい。さすが。

そして中庭へ。丘の上のグロリエッテまで行く。
絶景。ウィーンが一望できる。

午後は美術史美術館へ。
美術の教科書とか世界史の資料集で見た作品いっぱい。
3時間くらいいてしまった。

でもウツっぽいので感受性が落ちてたと思う。
実は両方ともあまり印象が残ってない。


中心部から西駅近くの宿までおよそ1km。
なので歩く。

この街は普通に都会だ。
このまま住み着いてしまえるような感覚すら出てくる。
ヴェネツィアが特異すぎるだけだけど、なんだか早足になってしまったり。
居心地悪くない。
でも歩いててヴェネツィアほど楽しくもない。


相変わらずご飯はテイクアウトとバナナ。
&お菓子(ウィーンのお菓子はかなり美味しい)。だけ。
やばかった。

そういやヴェネツィアとウィーンはネットカフェが結構見つけやすい。
ヴェネツィアで2回、ウィーンで3回行った。
(パリは思ったよりなくて、2回しか行ってない)
日本語表示もほぼ問題無し。
彼女さんにメール送れたし(ローマ字打ちだけど)、
行けば必ず2通は送ってくれてたのでウツの俺はかなり助けられてた。
ほんとありがたかった。
友だちのHPやクラブの同期の掲示板見たり、アサヒドットコム見たり。
日本語に飢えてたんだよ。まじで。

自分のこと、日本のこと、その国の人のこと、その国のこと・・・色んなことを考えすぎて頭痛起こしたり。
まあ贅沢な頭痛、ということは分かってたが。

でも、ウツをどうすれば良いか分からず・・・
正直はやく日本に帰りたいとさえ思ってしまった。
自分がそんなことを思うなんて旅の前には思いもしなかったし、
自分がそんな弱い人間だなんて思ってなかった。
・・・ちょっと自分でも驚いた。
日本では自信満々で生きてる俺が。


自信なんてそれを築くまでの経過があってこそのもので、
要するに何かしら「した」という事実の積み重ねが必要なのだ。
もちろん何かするには沢山の失敗が伴う。
経験がないのだから。
結局、失敗する経験無しに自信は生まれない。
・・・なんてことはクラブ時代にさんざん考えて体の奥深くまで染み付いてた俺の財産。のはずだったが、知識として知ってただけだったようだ。
ウィーンでの俺が何よりの証拠。
俺は何も知らない環境で当然起こり得る失敗を恐れてたのだ。

・・・ということに気付くのは翌日の夜である。

ウィーン 1日目

2002年2月28日
ウィーン行きの列車で、偶然にも同じコンパートメント(かなり狭かった・・・)に日本人女の子が二人(うち一人かわいめ)。
6人中3人が日本人、という状態。
当然日本語が飛び交う(断っとくが俺は声かけてない)。
久しぶりに普通の日本語を耳にして妙な安心感を覚えてしまう俺。

でも話し掛ける一歩手前で我慢。
・・・「一人旅」というものをヴェネツィアで考える一件があって、どうしてもスッキリできてなかったので。

それは一人の日本人との会話。
一件目の宿をやめて駅前に戻る道(駅でちょっと声かけられた男)だった。

お互いに宿を探してる、ということは駅で知ってた。
で、駅方面に向かう俺に、二人でダブルの部屋をとらんか、と持ちかけてきた。
確かにちょっと安くあがる。
んで、そういうことは結構バックパッカーの間ではアリらしい。
んで、一緒に飲んだり情報交換するらしい。

「一緒に飲んだり情報交換」!・・・ハッキリ言って笑わせる。
なんで外国に言ってまで日本人どうし、しかも初対面の人間とつるむねん。
日本にいる時にそんなことするか?あほらし。

・・・と思ったのだ。
でも「日本人だから」というだけで確かにつるむ理由になり得ることもヴェネツィアを発つ日にようやく分かってきた。
日本語に飢えてる自分に気付いたり。


まあでも初対面の女の子と話すのは基本的に苦手(ということにしとこう)なのでやっぱり声かけず。

で、ウィーン着。
西駅に向かうつもりが、地下鉄の表示無し。
ん?と迷う。
駅をうろうろしてると前日の女の子二人も椅子に座って本を開いてる。
ついに声をかけてしまう俺。負けた。

彼女達も西駅に向かうつもりが分からないらしい。
ということで一緒にバスで西駅へ。
切符も買わずにさっさと乗車する彼女達(切符は先に買わなければならない)。
でキセル。
・・・かなり逞しい。なんなんだろ?ちょっと圧倒された。

縁があれば、とさようなら。
日本語ちょっと話して俺も回復。

駅のインフォメーションへ向かう・・・と声かけられる。
またかよ・・・と思いつつ「宿探しか?」に「イエス」と答える俺。
かなり強引、というか熱心にセールスしてくる(しかも日本語まざり)。
自分はペンションを経営してる。きれいな部屋だ。大きい部屋だ。駅から近い。と。

怪しさ爆発・・・と思ったが値段は?と聞くといくら出せるか?と逆に聞かれる。
カマをかけて40ユーロ、というと45ユーロなら良い、とのこと。
朝も早かったし、嫌ならまた探せばいいや、と思ってついていくことに。

いろいろ日本語で話してくる。
聞くと埼玉の方にいたとかなんとか。
で、部屋は静かだし、実際に極めて綺麗。大きい。ベッド3つ(おいおい)。冷蔵庫もドライヤーもあるし3つ星クラス。旅を通して一番だった。
3泊分のお金を先払い。即決。

おやじが出ていってから(また駅に行くと言ってた)シャワーを浴びる。
で、すっきりして出てくると・・・マスターキー忘れて行ってることに気付く。
おっさーん、大丈夫なのか?
なんて好感度の高いおやじなんだ。疑って悪かった。
Gastehaus Franz Schubert(ふざけた名前だ・・・)。
一応宣伝。メールで予約も出来るとのこと。

急いで身支度して駅に向かう・・・がいない。
宿におやじの携帯番号取りに戻ると、いた。
他の客連れて困ってた。
カギの束を渡して散策へ。

とりあえずガスタンク改造建築へ。
微妙。というか1階から3階のショッピングモールしか行けなかった。
それより上階は住宅だから仕方ないといえば仕方ないが。
でもモールの中にスーパーが入ってて妙にリアルな生活感があった。

でファンデルトワッサーハウス、クンストハウスへ。
ファンデルトワッサー・・・偉大というかなんというか・・・岡本太郎を思い出した。
本気でやっちゃうかよ、的なエネルギー。

それからシュテファン寺院。中に人が少なくて神々しさが際立つ。良い。

一日目からかなり動きまくり。

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